Beer Street and Gin Lane1750という絵には、英国の風俗画家、銅版画家であるウイリアム・ホウガースによる社会的な批評または政治的な風刺が示されています。当時、ジン弊害が下層階級にひろまって深刻な状況になって行くのを大いに警告し、その改良を訴えました。

この絵ができるだけ多くの下層階級に人々に行き届くように、版画の線は荒く、細かいタッチを極力省いてコスト削減をしている。

この作品では、「ビール街」(上右の挿絵)の繁栄と楽しみを一方で示し、それを「ジン横丁」(上左の挿絵)の恐怖と対照させている。2つの作品を見比べれば見比べるほど違いが際立ってくる。今にも死にそうな骸骨のような男(左図右下)と対照的な小太りの男(右図左下)。左図に着目してみると、ジン弊害の光景が鮮明になってくる。酔いしれて煙草に手を伸ばした途端、子供を下に落としてしまう不注意な母親。(左図前方)。右奥の方では、母親が赤ん坊にジンを与えているかと思えば、その向こうの方では、泥酔したコックが料理用の串に死んだ赤ん坊を突き刺している。

18世紀、人々はこうした弊害の原因が下層階級の怠惰さにあると考えていました。事実、「ビール街」では、それぞれの身なりからわかるように、職人であったり、芸術家であったり、とにかく仕事に勤しみながらビールを楽しんでいる光景が描かれている。

ロンドンの犯罪率が極端に高くなり、1751年ジン制定法が施行されました。ジンを商う酒場の数は制限されたのです。

いずれにしても、ジンよりもビールが好まれた背景は複雑なものです。当時ロンドンの衛生事情から水よりもアルコールの方が安全だということ、そして、ビールは栄養価が高かったという事実があるにしても、ビールは国内産である一方、ジンはオランダ産だったこともあり、宗教戦争などさまざまな政治的要因がこうした事情を大きく左右していたのでしょう。

参考ホームページ

http://www.haleysteele.com/hogarth/plates/ginlane.html