Daiquiri

Esteban Chartrand "El Baile" 1879

アメリカのバーでダイキリを注文すると、「そんなのは立派な男が飲むものじゃないぜ」と一笑に付される。これほど、ダイキリのイメージがよくないのはなぜなのだろうか?現在よく知られているダイキリといえば、緑やピンクのテクノカラーのシャーベットカクテル。威風堂々とした男性のイメージからは程遠いというわけだ。

 

ダイキリに対するマイナスイメージは、アメリカがキューバに課したキューバ経済制裁措置に端を発するといわれている。しかしよく考えてみれば、ダイキリは、ヘミングウェイや皮肉にもキューバミサイル危機のときアメリカの威信を共産圏に見せつけたケネディーが、こよなく愛した食前酒だ。

ダイキリの歴史は古く、キューバ庶民の間で親しまれていた。炭鉱夫たちは一日の重労働の後、ラムにライムのジュースを加えたシンプルな飲み物を楽しむ習慣があった。アメリカからやってきた炭鉱夫が、この習慣に倣って、この飲み物のレシピとラムを本国に持ち帰り、ワシントンDCに駐在する陸海軍専用クラブで初めてダイキリを紹介したといわれている。今でもダイキリといえばアメリカ軍部を連想するほど両者の関係は深いといえる。まさにダイキリは「男」の飲み物の象徴だったわけだが、巷で振舞われているダイキリでは、そんなことは想像にも及ばないだろう。

ダイキリにはアメリカ帝国主義的なイメージが強かった。この印象をさらに深めた人物がジョン・F・ケネディー。ケネディーの愛した食前酒はダイキリ。この事実がアメリカ全土に知れ渡り、ダイキリのカクテル人気は高まり、マティーニに匹敵するほどの地位を獲得したが、「花金パーティーハッピーアワー」の導入と同時に格下げとなった。