The Tiki Culture

ラムベースカクテルの種類が豊富になったのは、このティキカルチャーのおかげでもある。当時アメリカでは、さまざまなカクテルが生み出された。その中には、ご存知のマイタイやゾンビーそしてハリケーンがある。

ティキとは、ポリネシア神話に登場する人類創造神。マオリ族は、石や木のティキ像をお守りとして大切にしているという。1950年代から1970年代初期にかけて、ポリネシア大衆文化(ティキ)が興ったといわれているが、その歴史はもっと過去に遡る。自由な恋を求める美女は、いわゆる野蛮国に存在すると考えられていた。この存在に、文明国の男の想像は掻き立てられた。アメリカの文豪ハーマン・メルビルとタヒチや南太平洋を描きつづけたポール・ゴーギャンたちにより、こうした想像はますます飛躍し、神話化されていった。

1933年、禁酒法は廃止されたが、アメリカは依然として恐慌から立ち直れないでいた。そんな中、ハリウッドで開いたトロピカルな雰囲気のバーで、ジャマイカ帰りの店主が、ユニークなラムベースカクテルを出した。これが人気を呼び、人々はつかの間でも日々の辛さを忘れようと、このバーに足しげく通った。

2次大戦後、兵士たちが南太平洋から帰還すると、南の島というコンセプトは、ますます人々を虜にした。さらに、南太平洋をテーマとする小説が、この勢いに拍車をかけた。1951年には、ポリネシア文化を代表するハワイが、アメリカの州になり、こうして、ティキカルチャーの神話は、ロマンスと逃避行を求める人々に夢を与え、ティキカルチャーは浮動のものとなった。しかし1960年代に入ると、ヒッピーカルチャーが隆盛を極め、ベトナム戦争が影を落とすようになり、ティキカルチャーは衰退の途をたどった。近代化は進み、もはや南の島の神話は必要でなくなったのだ。