"Cortez and
Montezuma at Mexican Temple"
sometime between 1878 and 1880 by
Constantino Brumidi
テキーラの背景には、スペイン人のコンキスタドールによる侵略という歴史があります。テキーラの原型は、アステカ帝国の時代にはすでに存在していたといわれています。トルテカ王国の滅んだ後、15世紀には、アステア族がメキシコ盆地にテノチチトランを建設。マヤ文化、トルテカ文化を受け継ぎ、壮大なピラミッドや宮殿を建造し、絵文字や優れた暦、青銅器を使っていました。しかし、1519年、黄金を求めてこの地にきたスペインのコンキスタドール(コルテスたち)は、暴行略奪の末、アステカ人を虐殺。こうしてアステカ帝国〔最後の皇帝モンテスマ〕は滅びました。
一方で、スペイン人はテキーラ造りに貢献したといえます。アステカ人は、プルケといわれるマゲイ(多肉のリュウゼツラン)という植物を発酵させたアルコールを飲用していましたが、これを嫌ったスペイン人は、本国から持ち込んだ醸造技術を利用してテキーラを造るようになりました。1870年代には、合法的にアメリカへ輸出されるようになり、1916年、メキシコ革命勃発とともにサパタ派を支持するアメリカでは、ますますテキーラは人気を博し、1920年―1933年、禁酒法時代には、テキーラがメキシコで合法に造られていたこともあり、比較的容易に本国へ密輸できたテキーラは、この時代なくてはならないものとなりました。