
テキーラ需要の背景
テキーラが世界中でベストセラーになったのは1995年からのこと。世界全体の消費量は2倍。プレミアムやスーパープレミアムに対する需要増大はテキーラ人気に貢献した。このような状況を生み出すきっかけとなったのが1991年そして1992年。その頃テキーラがこれほどの躍進振りを見せるとは想像できなかっただろう。このようにテキーラブームを巻き起こしたアガーベが植えられた頃、世界のテキーラ市場は不振であった。テキーラと言えば、お金のない大学生が手っ取り早く酔うことのできる安酒の代名詞だった。そのようなイメージが定着しており、バーやクラブでプレミアムを用意しても誰も振り向かない状態。10年程前はテキーラ一杯に4ドル以上も払う人はまれであったが、この頃では40ドル以上も払う人がでてきたとか。
テキーラブームが、ちょうど1980年代後半欧米に始まったブティック・リカー〔特化型酒〕の流れを汲むものであり、シングルモルト同様、人々がニッチ商品を求めていることがわかる。ウイスキーやコニャックと同じような現象が今テキーラに起きている。より希少価値の高いものを求める傾向にあり、人々の目は小規模なテキーラ製造者にも向けられている。テキーラ通はメキシコに直接足を運んでニッチ商品を探し出し、本国アメリカに輸出する。これまで手に届かなかったセンティネラやラピスやグラン・センテナリオまで手に入るようになっている。また、シーグラムやブラウン・フォルマンなど、多国籍企業のテキーラ市場参加の影響も消費拡大に貢献。さらに、1997年のWTO(世界貿易機関)やEU〔欧州連合〕の動きがこの動きを加速させた。
1974年以来メキシコ政府は、テキーラに厳しい規制を設けている。ハリスコとその周辺5地域で栽培されたブルーアガーベ51%以上を使用しているものだけをテキーラと明記してよいということになった。これを受けてWTOとEUは、ハリスコとその周辺5地域のものだけをテキーラとラベリングすることで一致。それまでテキーラとラベリングしていた他の地域は、一斉に変更を余儀なくされた。こうして、世界の関心は一挙にハリスコに注がれることとなった。